君の未来に花束を

cp 一カラ未満カラ一未満

第1章 一松視点

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 運命の人に出会える確率って何パーセントなんだろうな。
 おれは、どこの誰ともわからない相手と繋がれている赤い糸なんかよりも、お前と出会えたこの目の前にある奇跡を、叶う限り大切にしたいと、そう思うんだよ。なんて、お前が好きそうなロマンチックな言葉を並べたてても、それをお前に伝える未来がおれに訪れることはない。おれはお前が幸せになれる道を、選ぶよ。



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 大通りから少し外れた路地裏。おれのお気に入りの場所。西日の差さない暗がりで、おれと同じようにしゃがんで猫と戯れているレザーの袖を少しこちらへ引っ張る。

 おれは松野家四男松野一松。実の兄である次男、松野カラ松と秘かに交際中である。字面にするとひどいな。いや、字面にしなくてもひどいか。

 生まれたときから、同じ家、同じ飯で育ってきた。なんなら遺伝情報も同じ。なんたって六つ子だから性別も、歳も同じ。加えて、今では、職が無いところも同じである。そんな兄への恋心を自覚したのは高校生の頃だった。とはいえ、気づいたところで、倫理にも道徳にも反した気持ちだ。墓まで抱えて捨てるつもりでいた。それなのに、1年ほど前、思いがけず転機は訪れ、カラ松と付き合えることになってしまったのである。
   家の中では家族の目、1歩外では世間の目。がらりと世界が変わるわけではない。特に家族には怪しまれないよう、ほとんど付き合う前の生活をお互い続けていた。そんな中で、さりげなく隣に座ったり、こっそり手をつないだり、2人になったタイミングを見計らってキスをしたり、いまどきの中学生よりもゆっくり2人の時間を重ねていた。何せ俺にとっては、こいつと付き合えていること自体奇跡以外のなにものでもない。充分幸せなのだと、そう、過ごしていた。
 そして、今日は、久しぶりのちゃんとしたデートだった。終わりがけには路地裏で熱に浮かされてから同じ家に帰る。ちゃんとしたデートの日のお約束みたいなもんだった。お互い照れつつ笑って締めくくれるなんて、ちょっと良くない?それから、家の前で少し気を引き締めて、玄関の前でばったり出会ったていを装って中に入れば。

「あっらら!お前らが一緒なんて珍しいじゃあん!」

 玄関に居合わせた長男おそ松がおかえり〜と言っておれらに興味を向ける。

「違う。偶々玄関に入るタイミングが重なっただけ。」

「偶然、そう…偶然とは必然!イッツジャストデスティニー、さ!ぅグッ」

 黙れクソが、と軽く隣の革ジャン野郎を殴る。これが家庭内でのおれたちだから。カモフラージュだから。デスティニーって言葉に照れたからとかじゃないから決して。

 その証拠に、なんだいつも通りじゃん、つまんないの、とおそ松は興味を失い、そのままトイレに向かう。そして、入れ替わるように母さんが現れ、もうご飯できるから着替えてきちゃいなさい、と声をかけてきた。みんながそろったら、兄弟で食卓を囲んで晩ご飯。食べ終われば兄弟みんなで銭湯へ行く。これがおれたち松野家の当たり前だった。



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 銭湯から帰り、みんなで二階へ上がって布団を敷く。床に置かれたあれこれを脇にやって、六人で一枚の敷き布団と掛け布団、六つの枕を用意するのはなんだかんだで面倒くさい。三男のチョロ松、五男の十四松が押し入れから布団を取り出そうとしたとき、末の弟トド松が足りない人手に気がついた。

「あっ、またあの馬鹿二人サボってる!ウソでしょ?信じらんない。ほんっとクソ。クソの中のクソ。」

「ったく、何度目だよあいつら。ねえ一松、悪いけど下にいるクズ共引っ張ってきてくれる?乳首引きちぎってやる。」

 繰り返される兄二人の怠惰な行いに、トド松とチョロ松は相当鬱憤が溜まっているようだ。飛び火を食らわないよう、はあい、と素直に従って階段を降りた。
 廊下に出れば、右手にある居間から、照明の明かりととともに二人の話し声が漏れている。障子に手を掛け、部屋に入ろうとしたところで、自分の名前が耳に入ったもんだから、おれはぴたりと動きを止めた。

「ぶっちゃけさあ、俺は一松が一番心配なんだよねえ。だって、あいつが自立とか家族をもってるところなんて想像できないもん。じゃない?お前もそう思うだろ?」

うるせえクソ長男。お前だって大して変わらねえだろうが。よほど言い返そうかと思ったが、それを制止するかのようにカラ松が笑った。

「フッ、何を言うんだおそ松。あいつはきっといいお嫁さんをもらうさ。なんたってこのオレのブラザーなんだからな!」

 即座に、それお前の自分大好きアピールじゃねえか!とツッコんだ長男の威勢の良さに反して、おれは虚脱状態である。お嫁さん、ブラザー。その単語が目の前にちかちかと光る。
 そりゃ、そう言うしか無いよな。あの流れで、安心しろ一松はオレのラヴァーだ!などとほざこうものなら今すぐ石臼であいつを粉にして東京湾に蒔いてやっただろう。でも、それにしたって、誤魔化しだって、あいつはいかにも本心であるかのように語るから。

「なんなんだよ……。」

 ちょっと、いや、かなりこたえた。こんなの、思いもしなかった展開である。
 さっさと障子を開ければよかった。おいこら二階来いやって勢いに任せて怒鳴り込んでいけばよかった。せめておそ松兄さんがおれのことを言ったタイミングでつっかかっていけばよかった。
 カラ松はどんな顔をして言っていたんだろう。もしかして本気で思ってるんだろうか。弟思いな兄の顔をしていたんだろうか。急に足がすくんだ。自慢じゃないがオレはビビりだ。
 障子を隔てた暗がりに、おれがうずくまっているとはつゆ知らず、二人の取り留めない話は続いていく。最近当たりのAVが少ないだの、トド松の怒るハードルがだんだん下がってきただの、なんてこと無い世間話をだらだらと。おれは動けずにいた。ただただ二人の声を英語のリスニング教材みたいに聞いていた。そうしているうちに、一向に戻らないおれを不審に思ったチョロ松が、様子を見に下へ降りてきていた。

「あれ、一松具合でも悪いの?」

その声は二人の耳にも届いたようで、会話はやみ、障子が開いた。

「ええっ、どったのいちまっちゃん!ていうかなんでこんなところに?」

「てめえらが手伝わねえから呼びに行ってもらったんだろうがボケ!」

 長男と三男の軽い言い合いが始まった。残った一人はというと、心配そうに「一松、どこか痛むのか?」と、膝を抱えこんでうつむくおれの顔を覗き込もうとした。
 今のおれがそいつを直視できると思うか?いや見れない見られるわけがない。なかば押しのけるようにして、ちょっと立ちくらみしただけだからと適当言って二階へ逃げた。
 それから、そそくさとパジャマに着替えて布団に潜り込み、狸寝入りを決め込んだ。いくら明るくとも、誰がしゃべろうとも、視線が背中に刺さろうとも、かたくなに目を閉じて夜が過ぎるのを待った。明日になれば、きっと平気だ。そう何度も繰り返しながら。
 


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 そんな夜から、特筆することもなく数日が過ぎた。翌朝くらいは、体調について多少気にかけられたものの、おれがなんともなさそうに朝食を平らげる様子を見て安心したようで、誰も何も言わなくなった。
 また、気まずさからおれはカラ松を意識的に避けてしまったが、やつはそれに気づくそぶりもなく、トド松と釣り堀に行ったり、ギターを弾いたり、パチンコに行ったり、いたって普通の日々を送っていた。出かけるときに、一緒に行かないかと声を掛けてくることはあっても、おれが行かないと答えれば、そうかとあっさり引き下がった。

 そうして訪れたとある日の昼下がり、幸か不幸か、オレたち2人以外は家の外へ出払っていた。カラ松は思案顔で窓辺に座っている。つってもこいつは何も考えてやしないんだろうけど。黙ってりゃ顔はなかなか、いや、ひいき目に見てって話か。
 カラ松がぼうっとしているのをいいことに、その姿を眺めては、きりりとした眉、がっしりした腕、それとは裏腹な、触れる手つきの優しさや、柔いキスを思い出す。いくら遠ざけ避けたって、一目見れば反射的にこみ上げてくる、どこか心地いい胸の苦しさに、一人心の在処を確かめていた。

 午後二時。おれたち二人がいる部屋は、暖かな陽だまりに包まれている。今なら、と、みぞおちのあたりの不安を口からぽろりと吐き出した。少し、確かめたかっただけ、カラ松の声が聞きたかっただけ。

「この関係に終わりってない、……よね。」

太陽の暖かさにぼんやりしていたカラ松だったが、口を開ければ「ン~?急にどうしたんだいちまぁつ」と、普段の調子だ。

「未来は誰にもわからないからいいんだろ~?おお、セラヴィ……。」

 馬鹿か。馬鹿丸出しだな。いや、わかるだろ。終わるよ、こんな関係。誰が見たって明白だよ。すかさずおれの脳が指摘する。でも、だからこそおれは、馬鹿なカラ松の口から終わらないと聞きたかったし、馬鹿だから言ってくれるんじゃないかと期待したんだ。そう馬鹿だから。

 なんて。嘘でも、束の間の安心でもいいから直接言葉がほしいだなんて、我ながら女々しい考えだと思う。それでも、カラ松がもちろん終わらないさ、と一言でも言ってくれたなら、おれは満足できたんだ。   
しかし、事もあろうに、残酷なおれの恋人は、真面目に、諭すような口調でこう続けた。やっぱり馬鹿。

「……まあ、そうだなあ。正直言ってしまえば、お前の隣はオレじゃないだろう。でも大丈夫だぞ。オレよりずっと一松にぴったりお似合いの、キュートで優しくてパーフェクトな運命の人がどこかにいて、その人が特等席に座るんだ。それをオレは確信してるし、その人が一松の前に現れてくれる時を待っている。」

 おれが投げかけた問いに答えるカラ松は、終始こちらへ一瞥もくれることはなかった。おい、なんで、お前がおれの気持ちをまるで気の迷いかのように言うんだ。気の迷いはお前の方なんだよ。こいつは何も分かっていない。運命の人なんておれは望んでなんかいない、それを望んでるのはお前だろ。聞かなきゃよかった。聞いたおれがばかだった。

こいつが、未来のおれの横に、見ず知らずの相手を描く台詞はこれで二度目。やっぱり、一度目のあれは、本心で言ってたんだ。クソ。心の中で、目の前のやつを散々に貶す一方で、穏やかに、けれどしっかりと、心臓の真ん中に、抜けないピンは深く深く刺しこまれていく。
確かな終わりを見据え、その時を待ち望むカラ松と、叶うことなら終わりが来なければいいと密かに願うおれと。いつから違う方向を向いていたんだろう、なんて白々しく考えては「今」から目を逸らす。そうでもしないと、目の前にいるこいつをどうにかしてしまいそうだ。前から、おれたちが別々の方を向いていることには薄々気づいていたのに、おれは気づく度に繕って、知らんふりをしてきた。そうやって切り貼りした不格好なものはもう限界だった。ピンが奥まで到達すれば、とうとう破れ、溜まりに溜まったものがどっと吹き出した。

「へえ、キュートでパーフェクトな運命の相手ね。そりゃいい未来だな。それで?今のお前は、自分に恋心を抱く弟と別れる前提の恋人ごっこですか。ヒヒ、さぞ楽しいんでしょうねえ」

 カラ松に向かって皮肉たっぷりに言えば、そいつは心外だと言わんばかりに勢いよくおれに目を向けた。

「ウェイトだ一松。それだとお前が一方的にオレに好意を向けているみたいじゃないか!勘違いしちゃいけない、オレはお前が好きだ、愛おしいから恋人になったんだ。」

「……うそだ。」

「嘘じゃない!」

「ふーん。じゃあ!お前のそれってのは!おれのと一緒だって言えんのかよ、なあ?」

おれがソファから立ち上がりズカズカ詰め寄れば、目と鼻の先。ぐっと押し黙ったカラ松は、先ほどまでの堂々とした態度から一転、動揺している。相変わらず押しに弱いカラ松。目を逸らさないものの、その瞳はぐらぐらゆらゆら揺れている。

あくまで、おれの主観だが、付き合えた当初に遡ってみれば、その時は幸せ貯金がマイナスになってすぐ死ぬんじゃないか、なんてくらいには浮かれていた。まさか、両思いになれるなんて、と。けれど、そんな日は長く続かなかった。恋人らしいことを重ねれば重ねるほど、カラ松とおれとの隔たりが、徐々に、そしてはっきりとわかりはじめたから。二人でいるとき、カラ松はいつも一歩引いていて、おれのことをかわいい弟だから受け入れてくれているようにしか思えなかった。まあ、生まれた時から兄弟だ。すぐに恋人扱いできるほど器用じゃないのかも、考えすぎかも、などと一時期は思ったものだが、日を重ねるほど、思い出せば思い出すほどおれはその考えを強めた。記憶のどこを探っても、恋人になってから、カラ松が自分からおれを強く欲したことはない。1年も経っているというのに。おれはあんなことやこんなことがしたくてたまらないというのに、カラ松とおれとの間には常に白線が一本ひいてある。

「ねえ。おれのこと、そういう気持ちで見たことある?自分からは深く踏み込まないようにしてさ。そのくせおれが言うこと望むこと何でも受け入れて。気づいてた?いつだって最初はおれ、全部、全部おれから。それでも勘違いだって?」

 思いの丈をぶつければ、みるみる崩れていく。この世の終わりみたいな顔をしている。何でお前がそんな顔してんだよ。終わりが来るって、覚悟してたんだろ。それが予定より早まった。お前にとってはそれだけのことだろうがよ。悪態をつく。苛立ちなのか、悲しみなのか、痛い。カラ松を見ると痛い。しばしの沈黙のあと、カラ松は、小さい声で、おずおずと言葉を選んでいった。少し震えている。

「この、一松を愛おしく思う気持ちに、嘘はない。誓う。ただ、その……、たとえ恋人になったって、どうしたってオレが兄である事は変えられない、から。だから、いや、でもオレは、一松のこと」

なんでおまえはそうやって

「つまりお前はおれに対して、ずっと兄として接してきたって話なんじゃないの。」

愛しいだとか好きだとか簡単に言えるんだ

「違う。そういうことが言いたいんじゃなくて、」

おれだって

「何が違うんだよ、事実だろうが。」

おれだって

「だから、オレは、一松が好きで、相手が一松だから付き合いたいと思って、」

言いたいのにな

「その好きは家族愛なんじゃないの。ずっと一緒、だから特別。兄、だから弟が愛おしい。それでたまたまおれが目の前にいたってだけの話。そうじゃなきゃ、あんなお粗末なはじまりありえないから。」

「ちゃんと聞いてくれ一松!なんでお前がオレの気持ちを否定するんだ!」

聞かない、聞きたくない、頼むからもう、やめてくれ。

「そんなにいうなら、違うって証明してみれば。お前のその気持ちが、おれの気持ちと一緒だって、家族愛とは違うって。」

「……」

 そう突き放して最後。答えられるはずもないカラ松は、ついに涙を零した。はじめて、おれの前でカラ松が泣いた。おれだって、泣きたい。ごめん、カラ松、ごめん。子供で独りよがりな感情と、カラ松を傷つけてしまった罪悪感とが押し寄せる。

そうか。これは、厚かましくもカラ松との先を望んでしまったこと、その末にカラ松を追い詰めてしまったことへの当然の罰なんだ。付き合えた幸せ貯金の代償。そして、過去に戻れないおれが、この場で選べる選択肢はただ一つ。

「もういい。」

それだけ言っておれは部屋を出た。終わりにしようカラ松。これで終わりにさせてください。最低なおれは、最後まで最低らしく、泣いてるお前を一人部屋に残して消える。だから、カラ松、どうか笑って、幸せに。でもそれは、おれから見えない遠くでよろしく。
これが、おれなりのお前への精一杯の「好き」だ。どこまでも下手くそで、自分本位でごめん。なんで、おれは。なんでおれたちは兄弟なんだろうね。